蓬田宏治(よもぎたひろはる)Instagram Twitter
栃木県生まれ、在住
日本語教師歴18年 そろばん8段 イタリア語、スペイン語の通訳・翻訳
アティスインターナショナルアカデミー日本語学校 教育部
6歳 そろばんを始める
サッカー、剣道(中学の部活)
12歳 そろばんのデモンストレーション(訪米使節団)でアメリカ西海岸へ(2週間)
13歳 ロベルトバッジョのファンになり、イタリアに興味を持つ
19歳 イタリア(トリノ)へ留学 合気道を習い始める
21歳 スイス(ルガーノ)へ留学 イタリア語を猛勉強
23歳 イタリアの大学に編入も学費が足りなくて退学
帰国 日本文化を世界に広める事業を発見
24歳 パラグアイへ(そろばんのインストラクターをするつもりで)
パラグアイで日本語教師養成セミナーを受ける
ツアーコンダクターや空港や学習塾でバイトをしながら日本語教師
37歳 栃木県宇都宮市の日本語学校の教育部で非常勤の日本語教師
日本語や日本文化を海外の方たちに広める日本語学校(学生寮)を準備中
しゃけ:
イタリア語、スペイン語ペラペラなヒロ先生、海外に興味を持ったのいつですか?
ヒロ先生:
栃木の田舎で育ったので海外とは無縁でしたね。小さいころは全く興味がありませんでしたし、知らなかったですね。海の向こうには「アメリカ」という国があるんだろうな、という程度です(笑)
近所のそろばん教室でトロフィーをもらうのを楽しみにしていた小学生でした。サッカーも習っていましたけど、「将来は医者になりたいです」とか言っていたと思います。
しゃけ:
え、では理系?語学が堪能だから文系かと。
ヒロ先生:
そろばんが得意だと理系と思われがちなんですが、全く数学ができません!そろばんと数学は脳を使う部分が違うのかなあ。語学が得意だったわけでもなくて、イタリアに行くまでは「Ciao」しか言えないレベルでした。
12歳の時にそろばんのデモンストレーションのためにアメリカに行けるという話があって、ロサンゼルス、サンタバーバラ、ヨセミテ公園、サンフランシスコに連れて行ってもらったのが初めての海外体験です。
刺激を受けましたね、海外体験も面白かったんですが、全国トップクラスのそろばん少年たちと出会って、上には上がいるんだなということにびっくり。
そろばんは1級を取ったから終わりにしようと思っていたんですが、そのあとに10段まであるということを知って、結局高校3年まで続けました。
しゃけ:
そろばんの世界全く知らないので詳しく教えてください。
ヒロ先生:
僕はそんなに熱心な方ではなくて、週に4日(火曜・木曜・金曜・土曜)そろばん教室で2時間半やっていたくらいですよ。
しゃけ:
?週4日2時間半?それで熱心な方ではない?どういうこと?
ヒロ先生:
途中に休憩とかおやつの時間とかないですよ。スタート!って始めるとスイッチが入って集中してしまう感じです。体が勝手に動いてしまうというのかな(笑)
しゃけ:
全く理解できないけどすごいです!マラソンみたいに苦しいけどランナーズハイのような?
ヒロ先生:
ああ、確かにハイ状態なのかなあ。早く正確にできたときはかなり気持ちがいいです!より高い級をクリアすることやトロフィーや賞状がモチベーションで、競技みたいな感じですかね。
でもサッカーも好きだったんですよ。中学2年くらいの時にサッカーワールドカップに出ていたベルトバッジョが好きになりました。どうやったらロベルトバッジョに会えるんだろうと考え、「そうだ!サッカージャーナリストだ!」と思いました。ヨーロッパサッカーの雑誌を買ってきてワクワクしていたのを覚えています。
しゃけ:
なるほど。サッカージャーナリストになりたかったんですね?
ヒロ先生:
はい。そろばんは8段を取ったところで引退。サッカー選手になりたかったけど、無理だなって。
サッカージャーナリストになるためにはとりあえずイタリア語だ!となって、イタリアに留学しました。
イタリアに着いてすぐ、警察署で滞在許可書をもらわなければいけないんですが、書類が足りないとかで門前払いをされて、(イタリア語が全くわからなかったのでなにがなんだかわからない状態)コピー機の前で途方にくれていたというのが僕のイタリア初日です。
でもコピー機の前で素晴らしい出会いがあったんですよ。そこでバイトしていた同年代のイタリア人男性なんですけど、今でも友達で仲良くしています。
日本では店員さんと意気投合して友達になるってなかなかないじゃないですか?イタリアでは毎日行くお店では「今日は元気?」「最近どう?」から始まって、気がつくと友達になっていたり、歳の離れた人とも親戚のおばちゃんおじちゃんみたいにすぐに仲良くなれるんですよ。
そのノリの良さが大好きで、もっと話せるようになりたいと思って猛勉強しましたね。
しゃけ:
ヒロ先生、金髪にしていたんですね?目立つから覚えてもらえたのかも?
ヒロ先生:
会う人会う人に「チネーゼ」(中国人)と呼ばれていたんで、髪の毛の色変えたらどうなるかな、って人体実験してみました。これが良かったのかもしれないです。やっと「どこから来たの?」と聞いてもらえるようになったんですよ(笑)
しゃけ:
確かに間違いなく中国人だと思われていたら「どこから来たの?」と聞かれないですよね。勉強も集中したら時間を忘れて没頭したのですか?
ヒロ先生:
そうですね。日本語は一切使わずにイタリア語漬けの生活にしました。パソコンとか携帯も言語設定をイタリア語にして。面白いことに「日本人だから合気道できるだろ?」って誘われて合気道を1年間くらい習いましたね。日本の礼儀作法をイタリア人からイタリア語で教わりました(笑)イタリア人のガールフレンドもできて楽しかったです。
一人旅もしました。オーストリア、ドイツなどヨーロッパを旅しているとき、スイスで偶然イタリア語学校を見つけたので喜んで話していたのがそこの校長先生だったので、即入学することにしてスイスのイタリア語学校に一年半通いました。
その学校がなかなか厳しくて、毎月テストがあってクラス替えされるので下のクラスに落とされないように必死になりました。
しゃけ:
ゲーム感覚というか、難題をクリアすることに熱くなるんですね。
ヒロ先生:
熱くなったら止まりませんね。
おかげでイタリア語をかなり習得し、イタリアの大学に受かったので編入したのですが、資金不足に陥りまして・・・退学。帰国しました。もったいなかったかな。
地元に帰ってきたらなんだか浮いてしまうというか、国籍不明な感じになっていましたね。地元を歩いているだけなのに警官に職務質問されるっていう(笑)
そんな時、国際交流センターでチラシを見つけました。「日本文化を海外に広めましょう」みたいな。「お、日本文化・・・そろばん?!」できるできる!と、昔そろばんのデモンストレーションでアメリカに行ったことを思い出して応募したんです。今思えば騙されたのかもしれないけど(笑)
しゃけ:
騙されたの?
ヒロ先生:
「日本語教師になりませんか?」というチラシでなかったことは確かです。自分としては海外でそろばんを広める人になるんだと思って、南米パラグアイに到着しました。でも着いてみたら、今夏休みで生徒はいないと言うんですよ。そして、ほぼ強制的に日本語教師養成セミナーを受けさせられて、夏休みが終わったら生徒20名くらいのクラスを受け持つことになっていました。その日から今でも日本語講師をしているので、ある意味、天職なのかもしれないですけどね。
しゃけ:
ワーオ!日本語教師になってよかったですか?
ヒロ先生:
そうですね。栃木に居ながら、毎日いろんな国の人と交流ができるというのがとても楽しいです。日本にいると当たり前すぎて気がつかないような些細なことも、海外の常識を知った後には「日本の良さ」として目につくようになります。
離れてみて地元の良さがより実感できたのかな。今は栃木のことが大好きなんです。
イタリア語を使う機会はあまりないですけどね。週に一回クラブハウスで(毎週月曜夜9時半より)ファビオさんとルカさんの「イタリアのお家」で話すくらいかな。文化の違いや言葉の言い間違いで大笑いできて楽しいです。
今はコロナの影響で生徒は激減していますが、そろそろ戻ってくるのではと期待しています。いずれは自分の家を改築して、学校にしたいと思っているんです。寝泊まりしたり、旅をしながら日本文化と日本語を学ぶことができるような環境を作れたらいいな、と思っています。そろばんも教えますよ!(笑)
ヒロ先生×しゃけの音声インタビューはこちらです。ヒロ先生のイタリア語、スペイン語、ドイツ語、カタルーニャ語、ピエモンテ弁を聞くことができます!