宇多嶋 翔(Show Udajima)TikTok
写真家・アーティスト
大阪府出身 広島県在住
読書好きな青年時代
大学入学
20歳 10か月間インドへ 英語を1か月でマスターする
商社に就職(国際事業部10年間)
ヨーロッパ各地で物品売買(輸出入)のネゴシェイターとして活動
独立 経営コンサルタントとしてマネージメント、開発に携わる
デジタルカメラ登場
写真家に転身
グラビアなど写真集・本を30冊以上出版
スタンドFMを使ったコミュニティーをつくる
【地球井戸端会議】
遺影の常識を変える【楽しい終活】を推進中
しゃけ:
広島県の大自然の中で一人暮らしの翔さん、雪は大丈夫でしたか?
翔さん:
困りましたねえ。雪で車が動かなくなったから車をその場に置いて徒歩で帰ったのですが、ほとんど人が住んでいない場所なので真っ暗だし、死ぬかと思いました。いつもはクマよけの鈴を持ち歩いているんだけど、それを車の中に置いて外に出ちゃったから熊も怖くて(笑)買ったばかりの灯油も置いてきちゃって。
しゃけ:
熊!うわー。停電したらスマホも使えなくなりますよね。
翔さん:
スマホが命綱だ!でも人間、生きるか死ぬかの思いをする時っていうのはワクワクしますよ(笑)20歳の時に「インターナショナルな人間になろう」と思って一人でインドに行ったんですよ。その時にも異常なワクワク感がありましたね。
しゃけ:
確かに!なぜインドを選んだのですか?
翔さん:
時代は「ハーグ事件」(日本赤軍によるフランス大使館立てこもり人質事件)の後くらいです。1970年代。ヒッピーたちがインドに集まっているという噂を聞いて行ってみたいと思ったんですね。10ヵ月間くらいインドでヒッピーやってました(笑)
しゃけ:
ヒッピーやってましたって。自由人過ぎる!(笑)
翔さん:
ヒッピーって親や世間の常識からの脱出する若者たちのことなんだけど、要するに住むところがないわけね(笑)ヒッピー村というのがあるわけじゃないからそういう人が集まったら「ヒッピーたち」と言われるだけで、ごちゃごちゃとした中で暮らすということです。これが面白かった。
一日150円使って生活をしたらモテましたよ(笑)みんなは一日70円でやりくりしてるからドミトリー(風呂トイレが共同)なのよ。150円だと個室でトイレがあるでしょ。僕の部屋に来たがるわけです。
世界中から人が集まったら英語だからね、英語がすぐに話せるようになりました。
しゃけ:
日本人もいたのですか?
翔さん:
たまーにいます。英語ができないからいじられて笑われているわけ。そいつらに文句を言える程度の英語力と、コミュニケーション力、世界中の誰とでもしゃべれる技を身に着けて帰ってきました。もともとは人見知りでしゃべるのが苦手だったんですよ。インドで別人になりましたね。
しゃけ:
ほほう!今はおしゃべり止まらないですけど(笑)そして帰国後商社に入社したと。
翔さん:
うん。国際事業部に入ったら会社のお金でヨーロッパに行けるわけです。日本の商品を海外に持って行って、販路を開拓するという仕事を10年間していました。イタリア・ギリシア・・・自分で企画を立てられるわけだから行きたいところに行けるんだよね。
とにかく企画開発が好きでね。独立してフリーランスになって経営コンサルタントをはじめました。いろいろと奇跡的な出会いがあって、面白かったねえ。
独自事業をして数年経ってから、デジタルカメラが世の中に出てきたわけです。
「お、これは世界が変わるぞ」と直感しました。
インドに行った時に強く思ったのは「いつかアーティストになる」だったんですね。これはチャンスだ!とひらめいて、経営コンサルタントから写真家に転身。
写真を撮って写真集を作って個展を開き、そこに来てくれた方に「家族写真を撮りませんか?」と声をかけていく、というシステムを思いついたわけです。成功しました。出版物は30冊以上出しています。
しゃけ:
ゼロから自分で考えて作るのが好きなんですね。
翔さん:
100個アイデアを思いつけば1つうまくいくのがあるからね。どんどん新しいことをやってみたいわけです。しかも今までの常識をくつがえすようなのがことがしたいわけだから、なかなかたくさんの人に理解してもらうのは難しい。説明が下手なのかな(笑)
しゃけ:
あはは。翔さんのHPを見てもぜんぜんわからなかったです。スタンドFMでお話を聞くうちにわかってきたのですけど、今日のインタビューで答え合わせをさせていただいています。
翔さん:
しゃけさんに直してもらったおかげで【地球井戸端会議】のHP、わかりやすくなりました。ありがとうございます。
しゃけ:
いえいえこちらこそ、翔さんのおかげでWIXの使い方を覚えました。ありがとうございます。今持っているアイデアはどういうものですか?
翔さん:
この歳になってくると、自分の最大のイベントって葬式なんですよ。この葬式の常識をくつがえしたいと思っています。遺影の撮影を頼まれるんだけど、使われるのは正面向いてみんな同じような写真ばかりなんですよ。もっと個性的なかっこいい遺影でいいじゃないかって思うんです。
もみじの葉っぱって若い5月の葉っぱはみーんな同じ形と色だけど、枯葉になったときはそれぞれ違う形と色になっているでしょう。老いてこその美というのかな。それを撮りたい。
「死」というのは「もともと居たところに帰ること」だと思ってるから葬式はパーティーでいいと思っているんです。「みんなよりちょっと先に帰ってるわ、待ってるからなー」みたいなイメージで遺影を用意しておくと思ったら楽しいでしょう。
あとね、先に行く人が何を残せるか?と考えたら家族や友人への愛だけだと思っています。これからメタバースがちゃんとしてくると「デジタル上なら死なない」なんてことも考えられるからね。デジタルでビデオレターや音声を何代も先の子孫に残すという企画を考えています。
残された家族が寂しい思いやつらい思いをした時、「死にたい」と思った時に、ご先祖のビデオレターを見たら、「よっしゃ、がんばるぞ」と思うのではないかな。何気ない一言で癒されたり、愛されていたことを思い出すことができたらいいじゃないですか。
しゃけ:
ほほう。では翔さんはもう残していますか?
翔さん:
あはは。それがねえ・・・僕はアーティストなんでね(笑)アーティストというのは作品を残すということだけではなくて、その人の私生活も含めた生き方すべてのことを言うのだと思っています。雪のなかで熊に襲われるっていうのもある意味アートかもね。
宇多嶋翔さん×しゃけ 音声インタビューはこちらから聴くことができます。