ガステ美智子(Michiko GASTE) Litlink フランス大家族の毎日 (ameblo.jp)
滋賀県出身 フランス在住
大家族ブロガー・出版イベント主催者・セミナー講師
高校時代 鬱を発症
重度の鬱で寝たきりの生活
結婚→DVモラハラ→シングルマザー
離婚→ネットで知り合って3日で再婚
2012年 フランスへ
海外生活で鬱を克服
子供7人大家族
テレビ・ラジオに出演
海外生活体験についての本を執筆(出版準備中)
子供たち・・・15歳で大学へ入学(長女)・バレエコンクール金メダル獲得(二人)・銀メダル獲得(二人)・小学生全員成績がオールA+
元夫との関係も修復・二人の父親と7人の子供たちも仲良し
しゃけ:
フランスで子育て中(7人!)のガステさん、お子様たちの年齢を教えていただけますか?
ガステさん:
長女が16歳、一番下の子が2歳です。幼稚園児から大学生までがいますが、フランスでは学費はすべて無料です。妊娠、出産にかかる費用ももちろん無料ですし、育児手当が充実しています。長女は2学年飛び級をしているので、今は大学生で家を出て一人暮らしをしています。
しゃけ:
!!生まれる前から大学の学費まで無料なんですね?飛び級2年!15歳で大学生になったのですか?
ガステさん:
はい。フランスでも珍しいことのようですが、日本ではありえないことかもしれません。長女は英語、フランス語、日本語、スペイン語を話します。今中国語と韓国語、日本の歴史などを大学で学んでいます。
他の子供たちも学校の成績はオールA+で、習い事のバレエでもトロフィーや金メダルや銀メダルをいただいて、充実した日々を過ごしています。
2歳から(おむつが取れたら入学することができます)週5日4時半までスクールがあるので、私も執筆活動に集中するようになりました。
しゃけ:
うわ!2歳から!フランスに移住するきっかけは国際結婚ですか?
ガステさん:
はい。上の子二人のお父さんは日本人です。離婚後、SNSで知り合ったフランス人夫との子供が五人です。
私は高卒で海外旅行にすら行ったことがありませんでした。今の夫と知り合うまではパスポートも持っていなかったんです。
しゃけ:
ほほう。ガステさんの生い立ちから教えていただけると嬉しいです。
ガステさん:
私は滋賀県で長女として生まれ、両親にとても大切に育てられました。これが大切にされすぎたと言っても良いというか、みかんの皮も自分でむかないくらい、なんでもやってくれる両親の元で育ちました。
学校では幼稚園時代から中学時代までずっといじめられていた気がします。友達がいないから本を読んでばかりいましたね。百科事典を丸暗記してしまうような子供でした。ピアノ、水泳、書写、英語の習い事にも行っていたので、遊ぶ暇もなく。両親は自分たちが貧しい家庭で育ったからか、私にとても期待をしていて、医者になってほしいと思っていたようです。
特に猛勉強したわけではないのに成績は常に上位でした。地域でトップの高校に入学すると、周りも勉強一色でいじめられることもなくなり、京都大学一本に絞って受験しました。
しかし、その二日目の入学試験の日に具合が悪くなり、試験を中断することになりました。患っていたうつ病が、試験中に急激に悪化したんです。
しゃけ:
うわ!我慢が爆発したのでしょうか?学生時代のガステさんに夢はあったのですか?
ガステさん:
実は歌手になりたかったんです。歌を歌うのが大好きでした。でも誰にも言うことができませんでしたね。両親の期待に応えたいという気持ちが強かったと思います。
大学に入れなかったことで、留年という形で自分の部屋に引きこもりました。でも起き上がれない。勉強だけが取り柄だった自分にはもう生きている価値はないと思い込んで、自殺未遂を繰り返しては精神安定剤が増える、という重度のうつ状態になりました。
しゃけ:
どうやって鬱を克服していったのですか?
ガステさん:
ある日、高校時代の同級生の男の子から「センター試験どうだった?」と連絡が入りました。鬱で家から出ていないと返信をすると、「僕が看病するから一緒に住もう」と言ってくれました。彼は大学生で一人暮らしだったので、同棲することになり後に妊娠。長女を授かりました。
「これで生きる理由ができた!子供のために生きよう」と、抗うつ剤を捨てました。それまで薬漬けだったので薬なしの生活はとても苦しかったのですが、結婚し、二年後には長男が生まれました。
長女は布団の上では全く眠れない子だったので、24時間ずっとおんぶし続けていました。夫は塾の講師をしていたので帰りは遅く、家事も一人でこなしました。そのうち優しかった夫の目がおかしくなっていきます。私を「ブタ」と呼ぶようになり、DVが始まりました。私は子供を守るために、空気を読んで弱音を吐かず、なんでも我慢していました。
親のために生きる幼少期の延長で、子供のために生きる生き方しかわからなかったのだと思います。自分のために生きるなんて自己中心的な考えは悪だと決めつけ、自分で自分を苦しめていたのかも、と今ならわかるのですが。
しゃけ:
家族からの過度の期待、親が好きだからこそ苦しいですね。そしてDV。。
ガステさん:
そんな結婚生活を見かねた私の弟と両親が離婚の手続きをしてくれ、子供たちと一時は実家に避難しました。でも実家にいたらいつまでも両親に頼ってしまう自分が嫌になり、東京に行こうと決めました。広尾の歯科医院の受付という仕事を手に入れ、シングルマザー生活を2年ほどしました。
この時もまだ鬱を引きずっていたのですが、子供と三人で生きられる自分に自信を持ちはじめ、得意の英語をブラッシュアップしようと思いました。子供が寝静まった後に、SNSで外国人とチャットをするという趣味ができました。
しゃけ:
そこで知り合ったのがフランス人の?
ガステさん:
そうです。私と同い年で口下手で日本文化に興味のあるフランス人男性からのメッセージが「あなたのプロフィール写真に一目惚れしました」「あなたに会いに行くために1か月のバカンスを取ったから会いたい」でした。
私は職場から幼稚園のお迎えに行く時にエクササイズのために2時間歩いていたので、その2時間の間なら会えます。と答えました。
すると、本当にフランスから彼が私に会いに来たんです。チャットもそれほどしていないのに。そして2時間歩きながらおしゃべりをして幼稚園に着きました。長女は当時の私に似てシャイでした。ある日突然見たことのない男の人が私の隣にいたら多分泣くか無視してしまうと思ったのですが、なんと、会った瞬間に笑顔でハグしたんです。
今でも不思議でどう考えてもおかしいのですが、その日から私たち三人とフランスから来た男性は家族のように仲良くなりました。
しゃけ:
運命の出会い?!その日から幸せモード開始ですか?
ガステさん:
言葉の壁もなんのその。長女と夫は顔以外似た者同士、今もとても仲良しです。パスポートを用意し、国際結婚の手続きをして、フランスに渡ったのが2012年。長女が小学1年生になる時でした。フランスの学校の初日から満面の笑みでした。不思議ですね。
私はこれまで自分が自分のために生きてはいけないと思っていたのですが、フランスに来てすべてが逆転していきました。自分のために生きない人は他の人に迷惑なのだと思い知るんです。最初は冷たいと思ったフランス人の対応も実は愛ゆえだと理解できるようになったりもしました。
日本にいた時の自分の中の常識がどんどん崩れるのと同時に鬱が晴れてきました。一人でがんばること、努力すること、我慢することは、美徳ではないような・・・。
夫も決して恵まれた家庭で育ったわけではなく、ごく普通のサラリーマンです。私に会いたい!家族になりたい!からこそ、子供たちと私をいつも大切に扱ってくれています。
子供たちも、楽しいからバレエを続ける、好きだから勉強しているのであって、誰かのためにやることは一切ありません。下の子たちの面倒も見たいときは見る。やりたくないことはしない。という徹底した自分軸です。
これでいいんだ!幸せってこういうことか!と発見したというか。苦労しなければ幸せはないと思い込み、自分で苦労を選択していたのでは?と気がつきました。今はどんな些細なことにもただ感謝できるし、ただワクワクします。本当に毎日楽しいことしか起こらない!という状態なんです。
しゃけ:
徹底した自分軸、これが幸せへのカギでしょうか?
ガステさん:
私が誰かのためにと思ってやっていたことは、実は、他の人を不幸に巻き込んでいたのかもしれません。私と別れたあと、元夫は自分のやりたいことを見つけ、優しい目に戻っていました。3年前、子供たちに会うためにフランスまで来てくれたんです。自分の子どものことはもちろん、下の子たちとも仲良く遊んで、7人全員の「お父さん」になってくれました。今の夫は「パパ」。だからわが子たちには優しい父親が二人もいるんです。
しゃけ:
なんてすばらしい大家族!!これからの夢を教えていただけたら嬉しいです。
ガステさん:
フランスと日本を仕事で行ったり来たりしながら生活をするのが夢です。9人家族、全員の飛行機チケット代を稼げるようになりたいですね(笑)
最近、フランス在住日本人向けの出版講演会の主催をしました。30名の定員は満席。大成功でした。今は自分の本の出版に向け、ワクワクしています!